2009年10月9日金曜日
中谷先生の講義
中谷 巌先生の講義を聞く機会を得た。
母校の先生をしている方でもあり、経済の話を期待して出席した。
お話は、日本を鼓舞する内容で、想像したのとちょっと違った...
まあ、経済の話は本を読めということだろう。
日本はいまG7にいるが、非クリスチャン・非欧州のわが国がなぜ
メンバーにいるのか? 世界でそういうポジションを得た日本は
一体、何がユニークなのか?
まず、歴史を振り返ってそれを考えてみる必要があると指摘した。
「自画像を描いてみることです」と。
レベルの高い庶民が多くいる東京は、世界に類を見ない都会だ。
それは日本が階級社会ではないから。
たとえば、EU圏の国々は、民族大移動の歴史を持っている。
それは領土をめぐる戦争であり、まけた民族は奴隷化していった。
これが下層階級を形成していて、拭い難い意識を植えつけている。
アメリカは歴史が浅く階級社会とはいえないものの、移民たちが
奴隷を使った歴史を持っている。かれらは階層社会になっている。
中国も、漢民族が北方騎馬民族と争った厳しい歴史を持っている。
(確かに、いま新疆ウイグル自治区は中国の火薬庫になっている...)
日本は庶民が文化の担い手になっている歴史がある。
同一国家、同一文明が庶民中心の社会をつくり、
それが、いまの階級の無い社会につながっている。
(正確性はおいといて、大括りとしては、そういうことだ)
しかし、明治維新のときに、薩長連合は、江戸時代の否定をした
これが自虐史観のはしりである。
戦後、GHQの占領下でも同じことが起こった。
(日本歴史、地理、修身の授業の禁止)
「我々(中谷先生)以降の世代は、自虐史観で教えられ
学校で正しい歴史を学んでいない。」
海外に出たとき、自国の歴史を知らないと大変困る。
歴史的な事実についての見解を尋ねられたときに、知らない、
分からないと応えるようでは、外国人から信頼されないのだ、
とも先生は言っていた。
日本の長い歴史で、元寇以外に外国の占領にあう危機は無かった。
それで、長期的な信頼関係を築く社会を形成できた。
また、外国の文物を宗教観の違いを超えて受け入れ、融合する
文化がわが国にはある。
イスラムの文化では、コーランの教えに無いとして、なかなか
新しいものを受け入れない社会の硬さがある。
新しいものを門前払いせずに柔軟に取り入れるて、
例えば「かな文字」を生み出し(例、952年 紀貫之 土佐日記)、
近年では自動車生産の技術をアメリカから学び、改良している。
長期的な信頼関係と、柔軟性が、日本の競争力の源泉になっている。
それはものづくりの現場で働く人たちが「当事者意識」を持つことに
現れている。これが現場力で、あるのは殆ど日本だけといってよい。
大げさだなあと感じながらも、渡辺京二・著の『逝きし世の面影』を
引きながら、いくつかの話が続いてくのを面白く聞いていた。
階級の無い、庶民文化のわが国だから作れた、この相互の信頼と
当事者意識は、わが国の社会資本といえる。
これを大切にしなければならないが、グローバルスタンダードや
構造改革の名の下に、市場主義がどんどんと入ってきている。
カンバン方式に代表されるような、共存共栄の考え方の下では
長期的な視点で改良を積み重ねていく。
また長期ビジョンに基づいて投資先行とすることもある。
でも、市場主義が行き過ぎると、契約関係は短くドライになり
磨きこむような改良が出来なくなる。
四半期決算も弊害があって、短期間で利益が出ているように
数字を作る(経営、組織活動をする)ようになってしまう。
いずれも、長期的な視点の投資をし辛くなる。
民主主義と市場主義は、人類の生み出したとても価値のある
ものだが、欠陥もある。
それは、今いる人たちの欲望を最大化することを認めてしまう
ことにある。
たとえば、中国や韓国は砂漠化が進んでいて、彼らから見ると
日本の山林は非常に魅力的に映る。
もし中国のファンドが、日本の野山を買いたがったら、売り払っても
いいのだろうか?
高く買ってくれればいい、というのは今いる人だけの利益を考えた
浅はかな行動だ。
歴史を知り、過去から受け継いできたものを将来の世代に引き継いで
いくことが大切だ。その視点が、民主主義での判断を正当化するのだ。
自国の歴史を知り、良いところを学べば、自然な愛国心が育つし
自信も深まるだろう。
閉塞感いっぱいで息苦しい社会を変えていくのは、今を生きている
ぼくたちが努力するしかない。
他国の人が助けてくれるわけでもないし、国を捨てることもできない。
そう思うと、歴史を知って自画像を描いてみようという中谷先生の
呼びかけの意味が分かる。
日本はダメだ、なんて言っていても、何にもならないからね。
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