2009年7月28日火曜日

AAF学校 思考の基礎体力#1


これはアサヒ・アート・フェスティバル2009の一環で、
アートプロデューサーの能力向上を目的とした講座だ。
主なテーマは「なぜアートでなければならないのか?
という社会からの疑問に応える力をつけようというもの。

いまはアートマネジメントを学び始めたところなので、
展覧会の実現に焦点が集まってるけど、これを続けていくなら
人の集まり・つながり(団体など)の継続や、施設の運営でも
「何をするか」「どうやる」とともに、「なぜ」は根源的な
問いにかけなるので、興味を覚えたんだ。
会場は浅草のアサヒ・アートスクエア(金のう●こが乗っている
スーパードライホールの4階ね。西新宿からはちと遠いわ…)。

昨夜は第1回目。タイトルは「芸術と政治1」で五野井郁夫さんの
レクチャーだった。



レジュメから
「芸術と政治とは、ともにかけ離れているように思えながらも、
 その双方には共通項がある。それは、どちらもわたしたちの
 日常から縁遠く感じられてしまう点だ。
 芸術は美術館、政治は永田町、といった具合に。
 だが、芸術と政治とは本来地続きであり、両者はわたしたち
 当事者を媒介に今日、再び出会う。
 本講義では現在までの「芸術=政治」表現の系譜を紹介しつつ、
 芸術の今後を模索してゆく。」

話の中で、「都市の価値を下げるもの(表現や人)は排除される」
「アートは都市ブランディングの方途に成り下がって良いのか?
 (そんなはずはない)」という指摘にはドキリとした。

そして、人が人を信頼する能力を奪う監視社会(例:張り巡らされた
防犯カメラ、東京都安全・安心まちづくり条例改正で『大衆に多大な
迷惑となるパフォーマンス等、街の秩序を乱す行為』が禁止されたこと、
秋葉原の歩行者天国の中止 etc...)になり公共空間が窒息しているが、
それに対して「芸術表現がその場を取り戻してゆくという
『政治=芸術』の再開を見出すことが可能
。それは同時に、
社会的排除に対して抗し、うち捨てられた情況にある人々
までをも再び人々の中に包摂してゆく『芸術=政治』表現」
という話を、さまざまな表現事例を用いて説明してくれた。

 事例(一部)
  60年代のSummer of Love、80年代後半の2nd Summer of Love
  Love parade(1989~)
  NIJI(電気グルーヴ・石野卓球 1998)
  シアトルでのWTO会議に対するアクション(1999)とその後の
  ストリート・パーティ
  クリストの『包まれるライヒスターク』
  アソシアシオンの『ドンキホーテの子供たち』(ホームレスに住まいを!)
  マーク・ウォリンジャー『State Britain』
  ジェレミー・デラー『ソーシャル・パレード』『世界の歴史』
  藤井光の『ナイキポリティックス』
  ハイレッドセンターの『超清掃2』(1964)
  渡辺篤×246表現者会議『JUST DOITE?』と
  宮下公園パレード(DIY Sound Demonstration in Shibuya)
  Flash mob 『ピローファイト』『アルタ前朗読

また、ストリートで生まれたことが、企業ブランドの広告に剽窃
されてしまう事例もあげて、メインストリームでもなく、そして、
カウンターでもない、日常の中で楽しみたい人々が他者とともに
つくる場(既存の規範を超えていく場)の可能性、「もうひとつの
世界はすでに可能」だという話もあった。

人々がつながる可能性を可視化するということは興味深い。

東京のような巨大都市だと、都市経営の方向はどうしても管理に
向かわざるを得ない。
でも、高齢化・少子化対策も、緑化・省エネルギー・ごみ減量も、
スポーツ振興も、実はコミュニティの力が必要であって(行政は
解決への方向付けしかできない。解決するのは個々人の力の集まり)、
そしてそれは、東京という単位よりも、じつはもっと身近な地域
単位だったり、興味関心を同じくする人々のつながりだったり、
それらが少しずつ折り重なって作られていくものだと思うんだ。
そういったコミュニティを作っていくには、「人々がつながる
可能性を可視化」するってとても大事なことになるし、だから
アートの力に期待しちゃうよ。

昨日のレクチャーでは、アートと社会の関係がもつ可能性を
改めて意識できたし。

だた…
ぼくは不動産を扱う仕事をしてることもあって、人間が保守的で
四角四面にできてるんだけど(…笑うところじゃないよ)、
アートマネジメントに係っていくということは、ぼくの嫌いな
表現や、受け入れ難い考え方なんかにも、きちんと向き合って
いくことを意味するし、表現や表現者と社会とのコンフリクトを
調整していくことにもなるんだろう。
そう考えると、なにかとても面倒くさい感じがする。
だけど、単にひとりの鑑賞者でいるよりも、その面倒を受け入れて
自分が良いと思うことに係っていくほうが、人生はずっと面白く、
楽しくなるしね。
レクチャーを受けてそんなことを思ったよ。次回も楽しみだ。
 
 “学生証”をくれたよ
 

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