2009年7月17日金曜日

港区のアートマネジメント講座(第4回)


今回は講義。
内容は2部構成で、前半は渡部先生、後半は森下先生だ。

渡部先生からは、9月以降のワークショップの流れが説明された。

そして、今年の春にTOCアートギャラリーであった「D&D展」をひいて

 『窓からの眺めも部屋の一部でしょうか
 『私たちの思い出も建物や街並みの一部となっていくのでしょうか

を keyword に、建物やランドマークはどのように考えられるか?の
お話があった。

建物は、作りは堅牢にみえるが、実は用途をもつことから
必要がなくなれば壊されてしまうもの。
それは絵や彫刻よりも実は「存在としては弱い」。

建物には使う人が必ずいるのだから、建物をアーカイブするとき
使っている人の思い、思い出(user mind)をも含めていくことを
考えている。

ランドマークは、地理的にニュートラルなものではない。
そこにいて、それを見る人の思いや考えが投影され
それにまつわる記憶(心象風景)が積み重ねられ、
それが歴史になっていく。

そして後、このワークショップのゴールである展覧会のテーマに
ついての説明があった。

このテーマは、いろいろな要素を持つものだ。
ステレオタイプをリセットして、「自分にとってどうか」を考え
それをメンバー20人で共有して、展覧会を作っていく(と思う)。



続いて森下先生。彼は土方巽の研究者だ。

「生活空間と原始創造」をテーマにした話だった。

慶應大学の三田キャンパスの近くを振り返ることから話が進む。

明治から大正期は市電ができて、
麻布十番には三業地ができた。
そして金杉橋の先は工業地帯になり、古川沿いにはそこで働く日雇い労働者達のドヤ街になった。
ちなみに古川は、かつては氾濫を繰り返す川だったそうだ(今とは違う…)
戦中は強制疎開があり、空襲で焼け野原になってしまい戦後再びドヤ街になった。
(首都高のルートを見ると川の流れが分かる)

土方は秋田から出てきて、しばらくは古川沿いのドヤで暮らす
ことになる。一の橋から三の橋、古川橋のあたりがポイントで
この夏、森下先生は土方巽の原点である、古川沿いのドヤでの
暮らしを調査するそうだ。
「もう目にすることのない空間を考える」と言っていた。

「最低の土地から土方の芸術が生まれた」という事実には
興味を覚える。
古川沿いに行って、何が得られるか分からないが、
歩いてみようと思う。

「今は目に見えないものを感じるにはイマジネーションを
 働かせるしかない」
と、森下先生も言ってくれたしね。

このことが、展覧会のテーマを考える手がかりになり、
そして考え方を手にすることになると思うんだ。
 

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