2009年11月14日土曜日
都市公園とアート
先日、「ランドスケープと文化+ART」というシンポジウムに行ってきた。
会場は東京農業大学。大根踊りで有名なあそこだ。
これまで東京とロンドンの公園で別々に行われていたアートイベントが
今年から連携して開催することになり、これを機会に、ロンドンの
都市公園の成り立ちと、公園で文化活動を行う意味を考える、
というのがテーマだ。
主催者は、トロールの森実行委員会。
「トロールの森」とは、善福寺公園を会場にする野外アート展で、
今回で、8年目を迎えるという。知らなかった。
テーマは「まちと森をつなぐかたち」。
その実行委員会がシンポジウムも作っている。
まずクレア・ヒックマン博士の講演。
都市公園は19世紀のイギリスで一般的な形として発展していった。
それは急速に進む都市化と産業化が惹起した様々な問題への対策が
目的だったという。
都市公園は、地域にあった共有地に作られた。
それまで共有地はコミュニティの実用的な活動、農作業や薪集め、
や余暇活動に使われていて、そこでは飲酒や政治的な抗議活動、
巡業公演、ギャンブルなどといった、いわゆる上流階級が好まない
活動が行われていた。
そこを「規制された空間」にしようとしていった。
そして都市公園は理性的な、向上的な余暇活動の場に作られたそうだ。
労働者階級には、彼らよりも上の社会的ステータスにある人々の
ような服装と振る舞いが求められ、公園内での活動は文書化された
ルールで許された範囲に制限され、管理人によって厳しく管理された。
散歩や植物の学習、音楽鑑賞が奨励されたそうだ。
だから公園内にあるものは、きちんとした振る舞い、進歩と向上を
奨励する場所というコンセプトに基づいて作られている。
野外ステージは、日曜日に教会音楽を演奏する場所だし、彫像は、人々の
向上心を盛り立てるような業績を残した人物(わが国なら二宮尊徳か)を
表していて、見上げるような場所に置いてある。
公園内の飲酒を禁じる代わりに水飲み場があるし、装飾的な時計は、
時間の経過とキリスト教の教えを守ることを知らせる目的を持っている。
クレア博士は、「都市公園の役割は統制にある」から「節度ある利用を
促すデザイン」で作られている、とまとめていた。
ふ~む。
産業革命時のロンドンは、都市計画もなければ、人権意識も希薄なままに
急速に人口が増えたので、労働者はかなり劣悪な環境におかれた。
そこから労働運動と社会主義思想も強くなったし、
公衆衛生が発達したのも、労働者なんかは不潔なままでよい、
としていては国力を損なうから、仕方なく衛生環境を向上させた、
というくらいは歴史の教科書で知っているけど。
その時の公園整備の感覚は、上流階級から下層階級への啓蒙なんだね。
やはりというか、ヒューマニズムに基づいて整備されたのではなくて、
民衆のコントロールを目的とした装置の一つといえる。
これは現代の日本人とはだいぶ考え方がちがうなあ、と思った。
ちなみに、日本最古の都市公園は1903年に開園した日比谷公園だ。
それが作られた意図は「洋風の生活をする舞台」だそうで
野外音楽堂、花壇が整備され、また洋食を食べるために
レストランの松本楼が作られた。
だいぶ眠かったので、クレア博士の話は聞き漏らしたとこもあるけど、
(農大生の多くも居眠りしてた...)話の大筋は掴んでいると思う。
後半は、クレア博士に加えて、丸山芳子さんという美術作家、
農大の教授や講師を交えた討論になった。
残念ながら、ぼくには刺激の少ないトークだった。
その中で、公園にアート作品を展示することの難しさについての
話は興味深かった。
作品が壊されてしまったり。
「散歩が楽しくなくなった」といって怒る人がいて、対応に苦慮したり。
渡り鳥に悪影響があると指摘する人が出てきて展示方法を変えたり。
こういった苦労は現場でやったことのある人だけが実感できることで
アートマネジメントに興味のある人は聞くべき内容だと思った。
もっとも、問題解決の力は話を聞くだけでは身に付かない。
実際に現場で仕事をする中で得るものだけど
それでも苦労話を聞いておけば、何かあったときに頑張ろうと思えるし、
問題解決の手助けにもなるかもしれないしね。
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