鏡開きも済んで、郵便ポストもいつもの顔になって
年賀状のやりとりも一息ついたところで、こんな詩を見つけた。
賀状 長田 弘
古い鉄橋の架かったおおきな川のそばの中学校で,
二人の少年が机をならべて,三年を一緒に過ごした
二人の少年は,英語とバスケットをおぼえ,
兎の飼育,百葉箱の開けかたを知り,
素脚の少女たちをまぶしく眺め,
川の光りを額にうけて,
全速力で自転車を走らせ,
藤棚の下で組みあって喧嘩して,
誰もいない体育館に,日の暮れるまで立たされた
二人の少年は,それから二どと会ったことがない
やがて古い鉄橋の架かった川のある街を,
きみは南へ,かれは北へと離れて,
両手の指を折ってひらいてまた折っても足りない年々が去り,
きみたちがたがいに手にしたのは,
光陰の矢の数と,おなじ枚数の年賀状だけだ
元日の手紙の束に,今年もきみは,笑顔のほかは
もうおぼえていない北の友人からの一枚の端書を探す
いつもの乱暴な字で,いつもとおなじ短い言葉
元気か.賀春
ぼくにも年賀状のやりとりだけになっている人がいて
思い出も遠くなってなんだか世俗的なやりとりの残滓だなんて
ふっと思ったりもするけれど、こういう詩に触れると、
いや、やりとりそのものが大事なんだな、来年もまた出そう
なんて思う。
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